ドサ日記 雑草帝国の辺境

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メイド服、巫女衣装で萌える?

大相撲の八百長、無気力相撲

ついに出てしまいました。大相撲における八百長の物的証拠。三人ほどは関与を認めて、一人は認めていないけど協会からクロ判定を受けた、というのが現在の状況でしょうか。
でも八百長の存在は昔から言われていて、暗黙の了解的な部分があったから、さほど驚きは無いです。
協会は、公式には否定していましたから、大問題ではあります。
私だって、八百長を擁護するつもりはありません。

でも以前、雑誌か何かでこんな記事を読みました。もちろんソースは覚えていないので提示できません。
『大相撲では八百長の存在が噂されている。公式には存在しないことになっていて、裁判でも八百長否定側が勝っている。でも実際には存在する。
存在するけど、それはそれでいいんじゃないですか。
たとえば、福祉大相撲とか大相撲勝ち抜きトーナメントとかの企画があります。
そこで行われている相撲、素人の目から見ても、本場所と比べたら明らかに迫力が無いですよね。
そりゃ、本場所でもないところで怪我をしたくないですから、力士としてはそういう取り組みになるでしょうね。事前の打ち合わせや金銭の授受があるかどうかは知りませんが。八百長ではないにせよ、本場所だったら明らかに無気力相撲だ。
でもそれでいいじゃないですか。テレビや会場で観ている人だって、本場所ほどの本気を出していないことは暗黙の了解として分かっている。分かった上で楽しんでいる。
つまり、興業として成り立っている。お客さんを喜ばせているのですから。
それと同じで、本場所における八百長や無気力相撲だって、素人目から見て分からないようにやっているなら、あったとしても構わないじゃん』
という、かなりだいたんな意見でした。

私も、けっこう同意見だったりします。

たとえば、プロレスなんかもそうだと思うのです。
プロレスが真剣勝負か、という部分について。
試合に勝つための真剣勝負かというと、否でしょう。勝ち負けのためなら、もっと手っ取り早く勝ちに行く攻撃をするべきですから。
でも、プロレスとはそういうものではなく、お客さんに技を見せて喜ばせる、という意味ならば、十分に真剣勝負だと思うのです。
それは、自分の技を見せるだけはなく、相手の攻撃も堂々と受ける。
勝ち負けにこだわるなら、相手の技なんか受けずによけるなり、あるいは技自体出させる前に自分から攻撃して封じ込めてしまえばいいわけですし。
試合の勝ち負けを基準にすれば、真剣勝負ではない。八百長、とまでは言いません。勝ち負けに関して金銭の授受があるとは思いませんので。でもまあ、試合結果については出来レース的なものでしょう。
でもそれでいいのです。お客さんは、それを分かった上で観て、喜ぶ。悪役レスラーがパンツの中に仕込んだ栓抜きで攻撃するのだって、お約束ですから。

で、大相撲の話に戻りますと。
八百長相撲といいますが、私のような素人では、観ていて分かりません。プロでも分からないらしい。
でも明らかに無気力相撲だったんじゃないの、と思えるのが過去にいくつかありました。
千代の富士対北勝海の優勝決定戦
金銭の授受があったかどうかは分かりませんし、事前打ち合わせがあったかどうかも分かりません。証拠が無いから、たぶん無いのだと思っています。
でも相撲内容は、明らかに北勝海が兄弟子である千代の富士に勝ちを譲ったように見えます。千代の富士としてはどうしても優勝したい、そういう状況でしたし。
若乃花対貴乃花の優勝決定戦
これも金銭授受や事前打ち合わせは分からないし、たぶん無かったと思っています。
でも内容はというと、足腰の良いはずの貴乃花があっさりと転んでしまいました。兄に配慮して優勝を譲ったように見えます。貴乃花は全盛期で、この後何度でも優勝を重ねられそうな感じでしたし。
貴乃花対武蔵丸の優勝決定戦
これは確実に打ち合わせ等は無かったはず。
貴乃花はガチンコでしょう。膝を大けがしていて、いつも以上の根性をふりしぼらなければ、土俵に上がることすら無理だったはず。
それに対して武蔵丸視点だとどうでしょう。大けがをしている貴乃花相手に、全力を出せるでしょうか。全力を出し切れない中で、なんとなーくふんわりと寄り切るような形で勝ちたかったはずですが、貴乃花の根性の投げに屈してしまった。
これは、今回の八百長問題とは方向性はちょっと違いそうですが、それでも無気力相撲であったことは間違いない。
武双山対魁皇
武双山は負ければ大関陥落というピンチだったはず。で、魁皇は優勝争いをしていたはず。
これも事前打ち合わせがあったかどうかは分かりませんし、相撲内容も、そんなにそこまであからさまではなかったです。でも魁皇がやや力を抜いて武双山に勝ちを譲ったように感じます。
番外として、曙対小錦
小錦は、負けたら大関陥落という状況。ただし、ここで勝ったとしてもまだ勝ち越しではなく、まだあと何番か勝たなければならなかった。
当時の力関係を考えたら、全盛期の曙が落日の小錦に負けるはずが無く、相撲内容は大したみどころも無いまま、あっさり曙が勝ちました。
曙は明らかに全力を出していなかった。無気力相撲でした。
でも、全力を出さなくても勝ててしまうほど、力の差があった、ということです。
勝った時の曙、まるで自分が負けたかのような沈痛な表情だったように記憶しています。
たとえば現在の白鵬なんかも、絶好調の時には、下位の力士相手だと全力を出すまでもなく簡単に勝ってしまいそうです。

でもこれらの取り組みは、八百長が騒がれることもなく、無気力相撲と言われることもありませんでした。武蔵丸が「弱い」と一部から攻撃を受けたみたいですが。あれは、逆にガチンコで全力を出していたら「どうして怪我人相手に全力を出したんだ」と攻撃を受けていただろうから、気の毒な状況でした。

結論として、ここで私が何を言いたかったかというと。
明らかな八百長、明らかな無気力相撲でない限り、暗黙の了解としての八百長ならあってもいいかな、と私は思うのです。
八百長が存在することを推奨しているのとは、ちょっと趣旨が違います。消極的に賛成も反対もしない、みたいな感じ。
観る側としては、体の大きな力士が土俵の上で迫力をもってぶつかり合って力と技を競い合うのを観たいのです。たとえ八百長であっても、立ち合いは強く当たって、その後しばらくは流れで粘って、というような熱戦だったら、素人が観ても八百長とは分からないし、充分楽しめると思います。
逆に。
仮にガチンコであっても、立ち合いの変化であっという間に決まってしまう相撲ばかりだと、面白くないでしょ。

ぶっちゃければ、今回八百長力士が全部処分されたとしても、しばらくは八百長はなりを潜めるかもしれませんが、すぐにまたはびこり出すでしょうし。
繰り返しますが、八百長を推奨しているわけではありません。また、上記にあげた過去の無気力相撲をダメだと否定しているわけでもないのです。
協会としては、立場上、八百長には厳しく当たらなければならない。それは当然です。
でも目くじら立てすぎても、ファンとしては面白くないだけですね。
ニュース記事で観れば、幕内力士で八百長に手を染めていないのはいつぞやの時点で12人くらいだとか。
八百長があるにしても、思ったよりも多いらしいのは、ちょっと残念ですけどね。

もちろん、八百長が無い中で、きちんとした熱戦が行われるのが一番良いのですが。
キーワード:相撲



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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

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