ドサ日記 雑草帝国の辺境

都会人もすなるブログといふものを、田舎者もしてみむとてするなり。

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メイド服、巫女衣装で萌える?

ゲームブック『展覧会の絵』

かつて、一世を風靡したゲームブックというものがあります。
流行った期間は非常に短いのですが、結構好きでした。

どの作品がナンバーワンか、という話になると、絶対に出てくるのが、ソーサリーシリーズと、ドルアーガの塔シリーズです。
確かに両方とも名作であることは論を待たないのですが、両方ともシリーズであり、ソーサリーは全4冊、ドルアーガは全3冊です。
私としては、単発作品であり、様々な理由から優れている『展覧会の絵』がナンバーワンであると思っています。
かつてあったウォーロック誌でも、人気投票で一位だったはず。
その理由を述べることで、展覧会の絵の魅力を語ってみたいと思います。

・まず、一冊できちんと物語が終わっている。だから金額的にも安くて済むし、531という項目数も本の厚さも丁度良いベスト。
たしか、当時の金額で500円だったはず。当時は消費税はありませんでした。社会思想社のファイティング・ファンタジーシリーズは、400項目で480円が一般的でした。
そう考えると、項目数の割には値段は良心的。
項目数が少なすぎると物足りなくなりますし、逆に700とか800とかになると本は厚くなるしその分値段も高くなるし、内容的にも飽きて中だるみして、戦闘シーンなんかは飛ばしてしまうことも多くなってしまいます。中盤以降は相手の数字を見れば、勝てるかどうか、ある程度読めてしまうんですよね。
展覧会の絵は、丁度良い長さでした。

・本文前のルールが無い。ルールがシンプル。
普通のゲームブックでは、どうしても、本文の前にルール説明があります。特に戦闘と運試しです。
サイコロをふって判定をする。必要なのは分かりますが、早くプレイを始めたいところへ、説明を覚えるのは面倒です。ファイティング・ファンタジーシリーズのように、基本ルールが同じならば、ルールをすっ飛ばして始めることもできますが。ソーサリーやドルアーガのようなシリーズものなら、第二巻以降はルール読まなくても大丈夫でしょうけど。
そもそもソーサリーの場合、魔法使いとしてプレイする場合は最初に巻末にある48種類の魔法を覚えなければならないのも厄介です。
そこへくると展覧会の絵は、ルールらしいルールが冒頭にありません。「これから、あなたの冒険が始まります」的な注意書きがちょっとあるだけです。
といってもゲームブックですから、ルールが無いわけでもなく、戦闘もありますし、サイコロをふることもあります。
基本的なルールは、一枚目の絵である第一章の最後あたりで説明されます。
そのルールも非常にシンプル。真の楽師の琴の三種類の歌の数が体力値などの代わりに使われます。弦の色の歌はゼロになったらダメで、他の二種類の歌はゼロになるまではオーケー、というのがちょっと複雑といえば複雑ですが、せいぜいその程度。
あとは、宝石を集めて、最後に点数を計算するところが、ちょっと厄介か、といった程度です。
ルールのシンプルさ、が展覧会の絵の大きな魅力です。
和製ゲームブックは、どうしてもルールが複雑化する傾向がありました。確かにファイティング・ファンタジールールはシンプルすぎてバランスが悪い、という指摘もあったのはあったのです。だが、戦闘ルールをはじめとするルールが複雑になると、最初のうちはきっちりしていて面白いのですが、すぐ飽きるんですよね。サイコロをふって複雑な計算をするのが面倒になる。それだったら、確かにコンピュータにサイコロをふらせる方がマシです。和製GBのルールの複雑化、というのは、ゲームブックのその後の急速な衰退の原因でもあったと思うのです。

・双方向と一方通行の両方を、上手く使い分けている。
大抵のゲームブックは、どちらか一方だけです。
双方向は和製に多いものでした。隅から隅まできっちり網羅しないと気が済まない日本人タイプなのでしょうか。
双方向の良いところは、好きなところへ全部行けるので、本として、項目の無駄が少なくて済みます。
短所としては、慣れていない人にとっては迷うこと。迷路ばかりが多くなって、実際に実のある項目が減ること。物語としての進捗があまり感じにくいこと。同じところを通った時の扱いが、どうしても難があることなどがあります。キーナンバー方式を使って、同じ場所で同じ敵が二度出てこないようにしていることもありますが、項目は無駄に増えるし、キーナンバー管理が煩雑です。
双方向タイプでは、すごい立体迷路とか出てきたりもしましたが、基本的にゲームブックって、迷路って楽しみどころではないんですよね。単なる面倒なだけの障害であって。
一方通行だと、どのへんまで進んでいるかが、ある程度分かりやすかったりします。スローベン・ドア4つのうち、2つを抜けたとしたら、約半分くらいかな、とか。
一方通行の欠点は、本として項目の無駄が増えてしまうこと。
一つ道を間違えて必要なアイテムなどを取り損なったら、また最初からやり直しになるため、二度目以降のプレイに飽きが出ること。
展覧会の絵では、全体としては10枚の絵を、一つずつ順番に進んで行きます。逆に戻ることはないので、進捗状況は分かりやすいです。
一つ一つの絵の中では、双方向のものと、一方通行のものがあります。チュイルリーの庭とか、バーバ・ヤーガと鶏の足の上の小屋なんかは一方通行で、こびと地の精やカタコウムなんかは双方向。古城なんかは双方向だけど、同じところへは行けないので一方通行的でもあります。
そういえば第一回ゲームブックコンテストで、努力賞だかに入選した高校生だかの作品は、双方向と一方通行を上手い具合に使い分けていたらしく、その部分は評価されていました。

・ゲームとしてバランスが取れていて、完成度が高い。
これは展覧会の絵の長所としては、案外見落とされがちな部分です。
経験値を稼いでレベルアップする和製作品などは、後半に行くと、大抵の敵が単なるザコになってしまったりします。ドルアーガシリーズでも第一巻はきっちり管理されていました。意図的な無限アップ可能箇所を別として。しかし第二巻以降は、特に金貨を出しすぎてしまい、完全にインフレになっていました。どうやって持ち運んでいたのやら。
ファイティング・ファンタジーシリーズの場合、主人公の能力値によっては、かなり難易度が変わってきそうです。技術点が高くて12とかだと、大抵のゴブリンとかの敵って、ノーダメージで簡単に勝ってしまう。逆に最低の7とかだと、そこらのザコモンスター相手でも苦戦は必至。体力点の消耗が激しくなります。サイコロの目が悪くても、上手く選択肢を選べば大丈夫、ということになっていましたが、実際には厳しかったですよ。
そこへくると展覧会の絵は、三種類の歌もバランス良く消費するようになっていました。選択肢を上手く使えば、歌の数が少なくても充分にクリア可能だったはず。また、途中で宝石を取り損ねたとしても、ある程度ならば大丈夫なようになっています。
一般的な、サイコロをふり合って体力点を削って行って死ぬまで繰り返す、というゲームブック定番タイプの戦闘シーンが無いからこそ、のバランスでした。

・文章、ストーリーが秀逸。
これこそが、展覧会の絵の最も顕著な長所でしょう。
そもそもゲームブックって、小説とゲームが合体したもの、だったはずです。
しかし翻訳物などは、文章が坦々としていて無味乾燥で、物語的な面白さは稀少です。
和製の場合は、文章はそれなりに書かれていて、単なる分かれ道パラグラフなど以外は、きちんと台詞や情景描写などもあるにはあります。
ただ、双方向だと、同じ場所を通ったら、何回も同じ文章を読むことになっちゃいます。
迷路が多いため、東へ行くか西へ行くか北へ行くか、だけの選択肢も多いし、キーナンバーの数値を問う選択肢も多いので、あまり文章やストーリーを楽しむところまでいかないというのが実情でした。どちらかというと、戦闘ルールが複雑だったキーナンバー集めをしたりして、物語よりもゲーム性に重きを置いていました。
展覧会の絵は、和製ゲームブックの中でも、情景描写などの文章は特に優れていました。
そして、物語性です。
記憶喪失の主人公。わけの分からない世界。その謎が、物語の進行とともに少しずつ明かされて行き、最後は感動のグランドフィナーレ。
ゲームブックは多数あり、その中でゲームとして面白いものも多数ありました。
しかし、小説とゲームの合体でありながら、小説として文章、物語が面白いと思えるゲームブックは、恐らく展覧会の絵が唯一無二ではなかったでしょうか。……ああ、『送り雛は瑠璃色の』が、小説重視異色作品として、ありましたかね。


・世界観、雰囲気。あとイラスト。
もちろん他のゲームブックにも世界観や雰囲気はありますけどね。
展覧会の絵の場合、その世界観や幻想的な雰囲気が、既存のゲームブックとは明らかに一線を画した独特なものでした。
ゲームブックはどうしてもゲームということで、モンスターとの殺伐とした戦いがあり、ゴブリンとか出てくるものが大半でした。だから、割と雑然とした中世西洋的な異世界を舞台としていました。
展覧会の絵は、どこともつかぬメルヘンチックな世界観。モンスターとの戦闘よりも物語の進行がメインです。まあ、ミノタウロスとの戦いとかもありましたけどね。
イラストは、当時売り出し中だった米田仁士氏。復刊版では別の人です。

結局のところ、作者本人のどこかで仰っていましたが、本作品の魅力は、ムソルグスキーが作曲した『展覧会の絵』という曲の魅力に大部分を負っている、と。
それは、まぎれもなく事実でしょう。
ゲームブック版展覧会の絵も、あとがきに言及があったように、ムソルグスキー原曲のアレンジの一つなのです。アレンジは多数存在しますが、充分に優れたアレンジだったのではないでしょうか。

そんなこんなで、ゲームブック展覧会の絵は名作です。
展覧会の絵のような名作ゲームブックをもっと沢山読んでみたかったところです。
創土社で復刊されているようですが、新書版になって、値段も高いのが難点。
その上更に、復刊されたのが数年前なので、今では本屋に行っても復刊したものを見つけるのも難しいです。
ドルアーガなんかは、二巻までは復刊したけど、三巻は復刊していないらしい。……一、二巻の売り上げがイマイチで、三巻までは出せないということなのでしょうか。
創土社では新しいゲームブックも良作があれば出す、とのことですが、現実にはもう、そういう復刊以外ではゲームブックが刊行されることもないでしょう。
ゲームブック展覧会の絵は、旧版でプレイして、その後復刊版も買ったのですが、今ではいずれも持っていません。
でも音楽として展覧会の絵は、今でも好んで聴きます。
キーワード:展覧会の絵

『ムソルグスキー:展覧会の絵 5態』オムニバス(クラシック) (アーティスト), ムソルグスキー (作曲), ショルティ(サー・ゲオルグ) (指揮), レオポルド・ストコフスキー (指揮), エルガー・ハワース (指揮)他
ユニバーサル ミュージック クラシックAmazon.co.jp
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テーマ:忘れられない本 - ジャンル:本・雑誌

aikoのまとめ

ラジオで、aikoさんの曲がかかっていました。
近々ベストアルバムが二枚出るらしく、その中に入る曲だったようです。タイトルがまとめ1とまとめ2だとか。aikoさんらしいネーミング。
ファーストアルバムに収録されていた曲の、録り直しみたいです。
懐かしい曲でした。
うーん、aikoさんのファーストアルバムって、私にとっては、ちょっとしたトラウマを思い出すものなのです。
これが、普通の人だったら、その曲を聴いていた当時の失恋の想い出、とかなんでしょうけど、私の場合はそうでもなかったり。

私は人としゃべるのが苦手で、あまりしゃべりません。
そのせいで、協調性不足と、よくエライ人に言われます。
その欠点は自分でも分かっていますが、だからといってどうにもならないものです。人と話すのは難しい。
そもそも話題が合わないですから。ラノベワナビというのは内密のことですし。
周囲で話される話題はパチンコだとか釣りだとか地元ネタとか。
んで、その時は、aikoさんの話題が出てきました。
当時、aikoさんは『花火』だったか、ヒットして有名になり始めた頃でした。
といってもデビューしてからはそれなりに時間が経っていて、既にファーストアルバムも発売されて大分経っていました。
当時の私は、それなりに音楽も聴いていました。それも、ヒット曲ではなく、マイナーだけど良い曲を。で、aikoさんもファーストアルバムを買ってよく聴いていました。デビュー曲の『あした』が特に好きでした。つまり、珍しく場の話題に関する知識が、人よりあったわけです。
よって、ちょいと話題に加わりました。
それなりに話は盛り上がったのですが……隣にいたリーダーに、「しゃべってないで早く仕事しろ」と釘を刺されてしまいました。
いや、確かに当時の状況がどうだったかというと。
仕事中と言えば仕事中でした。
でも、仕事と言っても、私語厳禁というほどのことはありませんでした。周囲の人もみんな、普通に話をしていました。仕事の話だけではなく、雑談っぽい物も。
その時にしていた仕事だって、そんなに集中が必要なものでもなく、急ぐものでもなく、日常の残務整理でした。
非常に釈然としませんでした。
常々日頃から協調性不足で周囲の人とコミュニケーションを取れと言われていたのが、いざ実際にたまに会話をしていたら、ダメと言われて。
以前にも、似たようなシチュエーションで、別の人に、こんな感じのことを言われたことがありました。
なんで私だけ、ちょっと私語をしただけで注意を受けなくちゃいけないの?
でもまあ、世の中、こんなものですよね。理不尽。

というわけで、aikoさんの曲は、ちょっとだけ私にはトラウマだったりします。
せいぜい失恋の想い出とかだったら、ちょっとはかっこついたのですが。
もちろん、曲が悪い訳ではなく、aikoさんが有名になってからはあまり聴かなくなってしまったのですが、有名になる前から聴いていたものとしては、ちょっと誇らしい気持ちもあります。
でもそのaikoさんも、随分とキャリアが長くなりました。紅白歌合戦にも出ていましたし。ずっと変わらずに歌い続けているのは素晴らしいです。
今後もがんばってほしいです。

『まとめI』aiko
ポニーキャニオンAmazon.co.jp


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テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽

トロール牙峠戦争

なんとなく適当にググっていたら、とんでもない事実が発覚しました。


『The Trolltooth Wars』Steve Jackson
Puffin Books  Amazon.co.jp
This fantasy story follows Darkmane's journey from Salamonis to the mysterious desert city of Shazaar, to Yaztromo's Tower, south of Darkwood Forest and finally to Kay-Pong to seek out Zagor, the Warlock of Firetop Mountain. Steve Jackson and Ian Livingstone founded Games Workshop Ltd.

この、『トロール牙峠戦争』の翻訳が、同人誌という形で2009年に出たらしいのです。
ググったら、割と簡単にページが出てきます。
……でも、今は在庫切れらしい。
また在庫ができたら、そのタイミングで注文したい。


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テーマ:レア本 - ジャンル:本・雑誌

大相撲の八百長、無気力相撲

ついに出てしまいました。大相撲における八百長の物的証拠。三人ほどは関与を認めて、一人は認めていないけど協会からクロ判定を受けた、というのが現在の状況でしょうか。
でも八百長の存在は昔から言われていて、暗黙の了解的な部分があったから、さほど驚きは無いです。
協会は、公式には否定していましたから、大問題ではあります。
私だって、八百長を擁護するつもりはありません。

でも以前、雑誌か何かでこんな記事を読みました。もちろんソースは覚えていないので提示できません。
『大相撲では八百長の存在が噂されている。公式には存在しないことになっていて、裁判でも八百長否定側が勝っている。でも実際には存在する。
存在するけど、それはそれでいいんじゃないですか。
たとえば、福祉大相撲とか大相撲勝ち抜きトーナメントとかの企画があります。
そこで行われている相撲、素人の目から見ても、本場所と比べたら明らかに迫力が無いですよね。
そりゃ、本場所でもないところで怪我をしたくないですから、力士としてはそういう取り組みになるでしょうね。事前の打ち合わせや金銭の授受があるかどうかは知りませんが。八百長ではないにせよ、本場所だったら明らかに無気力相撲だ。
でもそれでいいじゃないですか。テレビや会場で観ている人だって、本場所ほどの本気を出していないことは暗黙の了解として分かっている。分かった上で楽しんでいる。
つまり、興業として成り立っている。お客さんを喜ばせているのですから。
それと同じで、本場所における八百長や無気力相撲だって、素人目から見て分からないようにやっているなら、あったとしても構わないじゃん』
という、かなりだいたんな意見でした。

私も、けっこう同意見だったりします。

たとえば、プロレスなんかもそうだと思うのです。
プロレスが真剣勝負か、という部分について。
試合に勝つための真剣勝負かというと、否でしょう。勝ち負けのためなら、もっと手っ取り早く勝ちに行く攻撃をするべきですから。
でも、プロレスとはそういうものではなく、お客さんに技を見せて喜ばせる、という意味ならば、十分に真剣勝負だと思うのです。
それは、自分の技を見せるだけはなく、相手の攻撃も堂々と受ける。
勝ち負けにこだわるなら、相手の技なんか受けずによけるなり、あるいは技自体出させる前に自分から攻撃して封じ込めてしまえばいいわけですし。
試合の勝ち負けを基準にすれば、真剣勝負ではない。八百長、とまでは言いません。勝ち負けに関して金銭の授受があるとは思いませんので。でもまあ、試合結果については出来レース的なものでしょう。
でもそれでいいのです。お客さんは、それを分かった上で観て、喜ぶ。悪役レスラーがパンツの中に仕込んだ栓抜きで攻撃するのだって、お約束ですから。

で、大相撲の話に戻りますと。
八百長相撲といいますが、私のような素人では、観ていて分かりません。プロでも分からないらしい。
でも明らかに無気力相撲だったんじゃないの、と思えるのが過去にいくつかありました。
千代の富士対北勝海の優勝決定戦
金銭の授受があったかどうかは分かりませんし、事前打ち合わせがあったかどうかも分かりません。証拠が無いから、たぶん無いのだと思っています。
でも相撲内容は、明らかに北勝海が兄弟子である千代の富士に勝ちを譲ったように見えます。千代の富士としてはどうしても優勝したい、そういう状況でしたし。
若乃花対貴乃花の優勝決定戦
これも金銭授受や事前打ち合わせは分からないし、たぶん無かったと思っています。
でも内容はというと、足腰の良いはずの貴乃花があっさりと転んでしまいました。兄に配慮して優勝を譲ったように見えます。貴乃花は全盛期で、この後何度でも優勝を重ねられそうな感じでしたし。
貴乃花対武蔵丸の優勝決定戦
これは確実に打ち合わせ等は無かったはず。
貴乃花はガチンコでしょう。膝を大けがしていて、いつも以上の根性をふりしぼらなければ、土俵に上がることすら無理だったはず。
それに対して武蔵丸視点だとどうでしょう。大けがをしている貴乃花相手に、全力を出せるでしょうか。全力を出し切れない中で、なんとなーくふんわりと寄り切るような形で勝ちたかったはずですが、貴乃花の根性の投げに屈してしまった。
これは、今回の八百長問題とは方向性はちょっと違いそうですが、それでも無気力相撲であったことは間違いない。
武双山対魁皇
武双山は負ければ大関陥落というピンチだったはず。で、魁皇は優勝争いをしていたはず。
これも事前打ち合わせがあったかどうかは分かりませんし、相撲内容も、そんなにそこまであからさまではなかったです。でも魁皇がやや力を抜いて武双山に勝ちを譲ったように感じます。
番外として、曙対小錦
小錦は、負けたら大関陥落という状況。ただし、ここで勝ったとしてもまだ勝ち越しではなく、まだあと何番か勝たなければならなかった。
当時の力関係を考えたら、全盛期の曙が落日の小錦に負けるはずが無く、相撲内容は大したみどころも無いまま、あっさり曙が勝ちました。
曙は明らかに全力を出していなかった。無気力相撲でした。
でも、全力を出さなくても勝ててしまうほど、力の差があった、ということです。
勝った時の曙、まるで自分が負けたかのような沈痛な表情だったように記憶しています。
たとえば現在の白鵬なんかも、絶好調の時には、下位の力士相手だと全力を出すまでもなく簡単に勝ってしまいそうです。

でもこれらの取り組みは、八百長が騒がれることもなく、無気力相撲と言われることもありませんでした。武蔵丸が「弱い」と一部から攻撃を受けたみたいですが。あれは、逆にガチンコで全力を出していたら「どうして怪我人相手に全力を出したんだ」と攻撃を受けていただろうから、気の毒な状況でした。

結論として、ここで私が何を言いたかったかというと。
明らかな八百長、明らかな無気力相撲でない限り、暗黙の了解としての八百長ならあってもいいかな、と私は思うのです。
八百長が存在することを推奨しているのとは、ちょっと趣旨が違います。消極的に賛成も反対もしない、みたいな感じ。
観る側としては、体の大きな力士が土俵の上で迫力をもってぶつかり合って力と技を競い合うのを観たいのです。たとえ八百長であっても、立ち合いは強く当たって、その後しばらくは流れで粘って、というような熱戦だったら、素人が観ても八百長とは分からないし、充分楽しめると思います。
逆に。
仮にガチンコであっても、立ち合いの変化であっという間に決まってしまう相撲ばかりだと、面白くないでしょ。

ぶっちゃければ、今回八百長力士が全部処分されたとしても、しばらくは八百長はなりを潜めるかもしれませんが、すぐにまたはびこり出すでしょうし。
繰り返しますが、八百長を推奨しているわけではありません。また、上記にあげた過去の無気力相撲をダメだと否定しているわけでもないのです。
協会としては、立場上、八百長には厳しく当たらなければならない。それは当然です。
でも目くじら立てすぎても、ファンとしては面白くないだけですね。
ニュース記事で観れば、幕内力士で八百長に手を染めていないのはいつぞやの時点で12人くらいだとか。
八百長があるにしても、思ったよりも多いらしいのは、ちょっと残念ですけどね。

もちろん、八百長が無い中で、きちんとした熱戦が行われるのが一番良いのですが。
キーワード:相撲



メイド服、巫女衣装で萌える?

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